ところで、少し前のことですが仙台朗読祭2008の話です。
仙台朗読祭というのは、仙台文学館が年に1回開催している朗読のお祭りです。今年は12月7日に仙台文学館1階ロビー(といっても小さなホールのような空間です)で行なわれ、ゲストにアナウンサーの渡辺祥子さん、詩人の和合亮一さんが登場しました(和合さんはレギュラーメンバーであるらしいです)。
ゲストがいるといっても、基本的には、仙台周辺(あるいは東北一円というべきなのでしょうか)で朗読の好きな方々が、一人持ち時間3分で自分の好きなことば(自作の詩、エッセイ、または人が書いたエッセイ、歌詞、新聞記事、講演録、などからのいろいろなことば)を朗読するのがメインで、耳で聞くことばを楽しむための「市民のイベント」として開催されています。
私は友達で詩人の一方井亜稀さん(彼女は「現代詩手帖」投稿の<同期>でもあります)が出るというので、このさいだから仙台で一緒に晩ごはんを食べようと思って出かけたのでした。着いた当日は一方井さんとおいしい晩御飯を食べ、翌日の朗読祭には仙台駅でおいしそうなお弁当を買って行きました。
46名のエントリーがあったとのことで、宮沢賢治や吉野弘の詩を読む方もいれば、絵本や星新一のショート・ショート、朝日新聞掲載のエッセーを読む方、また自作詩や短歌、さらには詩吟まで登場しました。内容だけでなく読み方やその姿勢もじつにバラエティに富んでいましたが、それゆえに参加者のみなさんの<ことばを声に出す>行為への愛情というか思い入れが伝わってきました。
お昼のお弁当もたいへんおいしく、実際はるばる仙台まで行った私の情熱は主に食べ物と友達に会う目的にあったわけですが、朗読祭も予想以上に面白く、またその健全な印象に心打たれました。
いま考えるに、この健全さは読まれたものと読んだ方々の多様性にあったと思います。なにしろ、読み手は小学生から相当の年配の方までさまざまで、読む内容もいろいろなのだから統一的な印象は持ちようがないのですが、まさにそれゆえに、一方的な評価をきめつける必要もないわけで、そこがまず健康なのだと思える。さらに仙台文学館という場所でこのおまつりが毎年開催できるということそれ自体が、声によることばの共同性のようなものがそこに立ち上がっていることを示唆しているように思えるからです。多様な共同性というのは通常、なんであろうと発生はほとんど偶然によりますが、維持するのはじつに困難なものです。
さて、朗読祭の最後の方で、ゲスト詩人和合亮一さんのジュニア、小学生の和合大地氏が自作の詩を読まれておりました。この仙台朗読祭が朗読舞台デビューであったということですが、その堂々として物怖じしない度胸に大きな器がうかがえ、詩人でなくても今後なにか楽しいことをやってほしいと思った次第です。
帰りのバスに乗る前に、また仙台駅でべつのお弁当を買いました。今度はお昼より奮発して、女将のなんとか弁当とかいった、カゴに入った洒落たのにしましたが、こちらもたいへんおいしかったです。やはり旅はいいですね。
機会があったらまた仙台に行きたいです。今度はもっと観光しようと思います。
(KONO)
スポンサーサイト